増尾好秋からのメッセージ [2008年~2011年1月]
2011年01月03日
時が愛おしく感じる時 64歳の誕生日
これは去年の誕生日の後に書いたのですがあまり明るい話題でもないので載せるのはやめる事にしたんです。でもその後サダオさんの奥さんの ミッコちゃんや深町君の訃報がつづき人生、生命、生きる事等改めて考えていたので少し書き加えて載せる事にしました。
10月12日は僕の64歳の誕生日でした。Shirleyはカリフォルニアに行っていて僕一人だったので誰にも言わずに心の中に秘めたそんな静かな誕生日でした。メールやホームページサイトでの、みなさんからのメッセージ心に届きましたよ。ありがとう。
火曜日だったので夜はいつものArthur's Tavernでの仕事の日。
午後ニューヨークに向かいました。紅葉が真っ盛り。午後の陽に色あふれんばかりの景色はあまりにもきれいで夢の様。一人で感動して、ドライブしながらうっとりしてしまいました。いつもだったらラジオやCDで音楽を聞いたりしながらドライブしているんだけれど,今日はエンジンの音だけ、静寂の中 次から次と心に沸き上って来る思いにすっかり心を奪われてしまいました。平和で感謝と幸せでいっぱいになってしまっているこの気持、こんなすばらしい瞬間がとまってくれないかなと思うんだけれど時は流れて行ってしまうんだね。この景色もこの気持もこの時だけ、来週この道を通る時はもう別世界になってしまっている。
今思うと100日間もいた楽しかった今年の日本の夏も夢だったみたい。どんどん時は流れて行ってしまうんだね。この一瞬の時が愛おしくてセンチメンタルな気持に浸ってしまいました。
最近つくづく思う事。歳をとったから気がついて来たんだけれど、時は限られたもの、終りがあるもの、何時までもあるものではないという事に。そう考えると時が本当に尊い貴重なものに感じられて、一瞬一瞬をもっと大切に生きて行こうと思い始めるんだね。こうやって今まで何事もなく生きて来られている事に感謝してしまう。僕はそんな気持でいっぱい。
丁度40年前の1970年のこの日僕は六本木のCBSソニーのスタジオでレコーディングをやっていました。僕の24歳の誕生日だったし僕のオリジナル曲がブルースで12小節×2で24小節。それに24というナンバーが何か好きだったのでアルバムタイトルにした訳です。1970年は僕の青春真っ最中、サダオさんのバンドに入って3年目,ものすごくいろんな事があった年でした。夏にはバンドで生まれて始めて海外へ。ヨーロッパを回ってスイスのモントルージャズフェスティバル、アメリカのニューポートジャズフェスティバル出演等忘れられないエキサイティングで素晴らしい旅でした。この時に始めてニューヨークにも行った訳です。
そんな新しい経験をした直後のレコーディングだったので、僕の青春エネルギーが全部詰まってるアルバムになりました。女の子にもたくさん恋していたしね。
結局その2ヶ月後の12月にサダオさんのバンドは解散したんです。僕は翌年1971年の6月にニューヨークに旅立ちました。今年2011年でアメリカに渡って40年だね。信じられないよ。
64歳という歳。僕達ビートルズ世代にとって When I'm Sixty
Four は現実ではなかったんだよね。その頃自分がまさか64歳になるとはきっと誰も思っていなかったと思うよ。それほど自分とは関係ない遠い遠い世界、それが64歳の老人だと思っていた。でもその自分が今64歳になっている訳で結構ショックを受けている訳です。考えてみると人生確実にもう峠は越えて下り坂にかかっている訳で寂しい事ったらないよね。
でも今こうやって生きてる自分、気持と中身は昔とちっとも変わっていない。ギターだって相変わらず練習したい事の山積みだし、今だってチンさんとのレコーディングの事で頭がいっぱい。そう今年の3月に日本に行ってチンさんとデュオのレコーディングをするんですよ。もう朝起きた時から寝るまでギターの事であ~でもないこ~でもないそればっかり考えてる。
2010年は自分のギターを持って行けなかったので借りたギターを弾いていましたが、こちらに帰って来てからはペンササーのギターしか弾かなくなってしまいました。音とかこのギターの感触が今の僕の気持に合っているんです。ギブソン175はもう全く弾きたくないんです。僕の演奏自体が変わって来ている事にも気がついています。何か一つ吹っ切れたみたい。だから正直な気持、僕としてはやっとプロ一年生になれた、 さあ~これからやるぞ みたいな気持なので、やる気満々なんです。
だから僕はだいたい何時も先の事ばかりを考えているんです。ある意味人間は幸福で充実した人生を送るには目標とか希望とか何か目指すものを持って生きて行く事がきっと必要なんだよね。でもたまには今日みたいに立ち止まって振返ってみるのもいいね。ドキッとする事もあるけれど マスオ君64歳の今までよくやって来たねっ と自分の肩をたたきたくなる気持もある事に気がついて少し嬉しくなってしまったのも確かです。
そんないろんな事を考え感じながらニューヨークに行ったんです。夕方で最高にロマンティックな Autumn In New York だったよ。夜中過ぎにニューヨークから帰って来るとテレビではチリの奇跡の救助の明るいニュースで盛り上がっていました。
今日は一生忘れられない、スペシャルな誕生日だった。
毎年10月になり僕の誕生日が近ずくと必ず行く丘があるんです。そこで撮った写真を送りますね。
それと2010年12月28日の Arthur's Tavern の写真です。デンマーク人のピアニスト、キーボードの Soren Moller , それにドラムの平川雄一君です。
Soren Moller (p/keyb), 平川雄一(ds)、増尾好秋(g)
2010年12月28日 New Yorkの Arthur's Tavern にて
みなさん今年は又3月から日本です。主な仕事はチンさんとのレコーディング、それに海老原淳子さんの25周年コンサート出演と彼女のSunshine Ave Label 第2作目の CD 『I Wish 』の発売なのでそのプロモーションライブツアーを計画しています。自分の仕事も少しやるつもりですからそれは又 追ってお知らせしたいと思います。
2011年も素晴らしい年になります様に。
MASUO
2010年04月11日アップ
アルバム I'm Glad There Is Youについて
( Sunshine Ave. Label
のサイトに、I'm Glad There Is You の
「アルバムについて」がアップされました。増尾さんご自身による文です。
お読みください。 -- 管理人より -- )
2009年01月20日
明けましておめでとう
皆さんこんにちは、そして明けましておめでとうございます。
昨年9月から始めた Sunshine
Ave Label
皆さんに応援していただき心から感謝しています。今年もひきつづき新作
CD を発表して行きます。どうぞよろしくお願いしますね。
僕は今 TV の前に座ってオバマ大統領就任式を見ながら書き始めています。人々の興奮も最高潮に達して僕の心も思わず高ぶっています。アメリカ中というよりも世界中で祝福している感じですね。新しい時代の始まる歴史的な瞬間に感動しています。アメリカは今多くの問題を抱えていますが今こそみんなで心を合わせて又初心に戻ってやり直す、そんな時が来たことを感じますね。オバマ政権の成功を祈って乾杯。
一年経つのが早いもの、去年の今頃はペンシルバニアの田舎の家のスタジオ建設の真っ最中。同時に
New York のスタジオの引っ越しもありました。寒い雪の中ドロまみれになってみんなに混じって工事の手助けをして働いていました。大変だったけれど楽しい思い出でいっぱいです。配線やコントロールルームの設計等、スタジオの電気系統を家に住み込みで一人で全部やってくれた隆杉英司君にも本当に感謝感謝です。スタジオの名前は僕の伯母さんにちなんで
柿の木スタジオ (Kakinoki Studio) と命名しました。
今年2009年のレコーデイング始めはピアニストの Bill Mays とのレコーディング。レコーディングは着々と進んでいます。今年の5月には新作として発売する予定ですから皆さん期待して下さいね。
昨年は5月、10月と2度日本に行きましたが、今年はもっと頻繁に行く事になりそうです。もうすぐ
2月にはジロキチの35周年で行きますし、5月には Bill Mays
とのツアー、今話が進んでいるのですが7月と秋にはチンさんと仕事をする予定を組んでいます。
それでは皆さん今年も平和を願ってこの素晴らしい大きな波に乗って力一杯生きて行きましょう。
Life Is Good !
MASUO
2008年08月20日
Sunshine Ave label
お待ちどうさまでした Sunshine Ave Label のサイトがオープンします。初めての事ばかりだったので随分時間がかかってしまいましたが やっと開店にこぎつけました。最初はきっと至らない事も多々あると思いますが僕もガンバリます、皆さんよろしくお願いしますね。
レーベルの最初の2作として僕の Life Is Good
と海老原淳子さんの Without You で出発します。僕の
CD
は9月の頭にならないと発送出来ませんがサイトに行けば短いサンプルのクリップが聞けるので聞いてみて下さい。もちろん予約として注文は受け付けます。
CD の値段は1枚15$、送料は一律5$にしました。ダウンロードは1曲99セント、全曲で10$です。支払い方法はクレジッットカードのみです。
Life is Good / 増尾好秋
SUNL1001
Without You / 海老原淳子
SUNL1002
僕のアルバムタイトル Life Is Good
とは英語でどんなニュアンスがあるのか説明してみます。たとえば久しく会っていなかった昔からの友達に道でバッタリ。ワ~
久しぶり、どうしてるの。会話が始まります。家族もみんな何事も無く元気だし、仕事もまあまあうまく行っているし、人生にちょっとした幸せと愛を感じているんだったら、Everything
is fine, life is good ! なんて言うんですよ。こちらでは車のうしろに
Life Is Good
なんて書いて走っている奴もいて、何かそれを見ているだけで楽しくなってしまうんです。いい天気で陽がキラキラ輝いている様な感じですね。
そんな感じがフッと曲になったんです。Sunshine Ave Label と僕の新しい人生の始まり、そんな気持にピッタリなのでアルバムタイトルにしました。
日本に行った時に宣言した様に僕は100%ギター弾きに戻りました。今年の秋には又日本に行きます。来年の2月にはジロキチの35周年で又チラッ行くと思いますし,5月頃にはピアニスト Bill Mays と Duo で本格的に日本のツアーをやる予定を組んでいます。実は僕の次のレコーディングプロジェクトは Bill Mays との Duo 。 もうすぐレコーディングに入ります。今年中にでも僕の Sunshine Ave 二作目として発表したいと思っていますから、乞うご期待。
それではもう一度、 masuomusic.com
Sunshine Ave Label
よろしくお願いします。
MASUO
※当サイト Life is Good ページ
に、録音ミュージシャンの詳細があります。
2008年01月10日
さよなら The Studio
みなさん明けましておめでとう。今年もよろしく。
年末からペンシルバニアの田舎に帰って来ています。こちらは30日の夜に20cm位、それに大晦日の夜にも10cm位
雪が降ったのですっかり雪国になってしまいましたが今日(1月8日)は記録破りの暖かさだったので雪がほとんど全部溶けてしまいました。
皆さん気になっていると思いますが Sunshine Ave レーベルはもうすぐ出来ますから、もうちょっとだけ待って下さいね。
僕はこの所ずっと忙しい日々です。実は今、田舎の家にレコーディングスタジオを建築しているんですよ。いろいろあって工事の始まる予定が遅くなってしまったので冬の厳しい天候の中やっているんです。僕も出来る事はヘルプしたいので毎日みんなと一緒にドロまみれになって働いているんですよ。体中痛いけれど楽しいよ。力仕事をしているともっと元気になるんだね。こちらはお正月が無いので2日からさっそく又工事が始まっています。難関だった基礎も終り床も出来たので今日は壁を作っていました。何かと大変だけれどエキサイティングで元気いっぱいの
New Year です。
今日は工事現場の外で温かい太陽に当たりながら考えていたんです。
人間には生きて行くのに夢とか希望とか将来に向かっての目標がとっても大切なんですね。それが有ると毎日がもっともっと充実して楽しく前向きに生きて行けるんですね。
今こちらアメリカは大統領予備選でものすごく盛り上がっています。というのは
Democrat も Republican
も全く予期しなかった新人が人々の票を集めて勝ってしまったからなんです。特に
Democrat の方が面白くて、問題なく勝つと思われていた Hillary Clinton
が無名の Barack Obama と大接戦になっているんです。彼はまだ 40
代の黒人。彼が打ち出しているフレッシュな考えと方針に人々が共感しているのですね。まさに夢とか、希望とか将来に向かってのポジティブなエネルギーを感じさせてくれるんです。今までみたいなプロフェショナル政治家にみんなが失望しているからなんですね。もし彼の様な人が大統領になれるとしたらアメリカは本当にすごい国だと思います。
ところで今年は僕にとって大きな方向転換をする年になります。
New York のスタジオ The Studio
が1月いっぱいで終わる事になりました。2年前にスタジオのビルのオーナーが亡くなってしまい既に他の人がビルを買い取ってしまったのでこの1月で今のリースが終わると出なければならない訳なんです。この20年間、良い意味でも悪い意味でもこのスタジオが僕の仕事の中心になってしまって僕の演奏家としてのキャリアが無くなってしまいました。ここで少し僕とこのスタジオの事について書いておきたいと思います。
※写真をクリックすると別窓に拡大表示。
英語サイト側 Photosの The Studio ページ にも写真数枚あり。
102 Greene Street の地下にあるこのスタジオは1980年に僕の知人だった鶴田敬君が作りました。名前は
Zeami Studio。
彼はその後5年間経営しましたが、個人的事情で日本に帰る事になったので僕がその後を引き継ぐ事になり名前を変えて
The Studio
になりました。僕はその前の数年はミッドタウンにあるミュージックビルディングに
T.M Stevens とドラムの Tony Smith
と一部屋をシェアーしてミュージックルームとして使っていました。自分のバンドを持ってエレクトリックバードの一連の作品を作った後の時期です。
MIDI 機材に興味を持って一人で Masuo
アルバムを作っていた頃なんです。だから自然にレコーディング技術の方にも興味を持つ様になっていました。だから鶴田君(タカシ)が日本に帰ると言った時にそれなら僕がやってみようかなと思ったんです。でも柿の木
(The Tree) (※1)
の伯母さんが援助してくれなかったら出来なかった事でした。
その頃の僕は世の中の事、世間の事等に全く無知で、どうやってお金を作って生活を立てて行くのかも知らない全くアホみたいな奴だったんです。僕は若い時から人一倍ラッキーな道を歩いて来たので30過ぎになってもギターを弾く事以外の仕事をした事が無かったんです。そんな僕だったからスタジオをどうやって使って行こうかとかビジネス感覚はゼロ、将来の計画等全く持っていませんでした。でも僕は又恵まれていたんですね、物事が自然に流れて行ったんです。1986
年父が亡くなり日本に行っている時に学生時代からの知人有賀恒夫君から
New York で Jazz をレコーディングしたいんだけれど....と相談され結局二人でパートナーになって
JazzCity Label
を始める事になりました。そこからミュージシャン以外の事をやり始めたんです。世の中はレコードから
CD に変わって行く頃でした。
JazzCity Label のレコーディングエンジニアは友達の David Baker (※世界的な名 録音エンジニア) 。 Sony の DAT
レコーダーをレコーディングに使ったんです。 DAT が出たばかりで
Tape
は小さいしそんなのがいいわけないと世間ではみんな言っていたんですよ。有賀君が日本から買って持って来たんです。使ってみたら抜群に良かった。セーフティーのために同時に2台で録っていました。レコーディングのやり方は所謂一発取り。出来は本当にエンジニアの腕にかかっています。
David
がやっている事を見たり聞いたり、それが最高のレッスンだったんですね。レコーディングスタジオはミッドタウンの
Sound on Sound Studio。
最初の数枚はここでレコーディングしたのですがピアノがあまり良くなかったんです。
Walter Davis Jr
のレコーディングの時に、試しにソロピアノを僕のスタジオで録ってみたらそれが俄然良かった。その頃は演奏する部屋が小さかったので(20畳位かな)だから
David
もそこではやりたくなかったんですね。でも次のレコーディングは
The Studio でやってみたんです。 Rest is history ! (= あとはご存知のとおり)
スタジオのほとんどの機材は David
の薦める物を買って集めたし彼からのアドバイスが結果的に本当にすばらしかった。だから
The Studio はある意味で David Baker ( and 柿の木の伯母さん ) Studio
だったんです。 (余談ですが僕がNew York
に来てから最初に作ったアルバム 111 Sullivan Street は The Studio
から2つ隣のビルの地下に有ったスタジオ Greene Street Recording
でレコーディングして、エンジニアが David だったんです。 111
Sullivan Street
は僕がその頃住んでいたアパートのアドレスなんですが、マンハッタン
SOHO の地図 (※2) を見て下さい、111 Sullivan Street は on Sullivan Street between
Prince Street and Spring Street 、The Studio は on Greene Street between Prince Street
and Spring Street
ですからとっても近いんですよ。今僕が住んでいるアパートからも歩いて10分位だからとっても便利だったんです。)
レコーディング機材はDAT
から始まってデジタルになって今では完全に Pro Tools (※3) の時代。ものすごく便利になりました。コンピューターの事全然解っていない僕が使っているんだからすごいね。自分でも信じられません。レコーディングというプロセスを自分の楽器の一部として使えるようになった訳ですから素晴らしい事です。
20 年前のSOHOは倉庫街で画廊が少しだけあったけれど人通りが少ないさみしい所でした。今は軒並み
Armani(アルマーニ),
Louis Vuitton(ルイビトン)
みたいな高級店ばかり。
週末になると車も停められないファショナブルな観光地になってしまい
まるで別世界です。
こんなところに今までスタジオがあったなんて奇跡だね。
このスタジオはユニークなスタジオでした。最初は有賀君と JazzCity
の物を作るのが中心になっていたのですが JazzCity
をやめた後からは普通の貸しスタジオとして営業を始めました。でも仕事の
99%は Jazz をレコーディングしていたんです。Jazz
しかレコーディングしないスタジオなんて滅多に無いよね。そうなった一つの大きな理由はスタジオにある
Steinway のピアノがとっても良かったからなんです。勿論 New York
には他にもっと素晴らしい本格的なスタジオがいくらでもありますが、意外とピアノが良くないんです。だから段々ピアニストの間で評判が良くなっていったんです。(このピアノ
Steinway B は、1980 年になら春子さんがタカシと Steinway の Show Room
に行って選んだそうです) スタジオは一度も宣伝した事がありませんでしたが知らないうちに
Jazz ミュージシャンがレコーディングする Jazz Studio
になっていました。 New York Jazz
シーンにとっても貢献していたんです。音楽業界が変わって行くのでレコーディングスタジオがどんどんつぶれてしまいます。
そんな中 The Studio は相変わらず Jazz
一本マイペースでやっていたので暇になる事がありませんでした。やめてしまうニュースにみんなとっても残念がっています。こんな場所がもうマンハッタンの中には存在しないかも知れませんね。
Jazz 最後の砦だったのかもしれません。
アメリカだけではなくヨーロッパや日本、アジア、世界中からのミュージシャンに使ってもらいました。プロデューサーにも気に入ってもらって、Jazz
at リンカーンセンター の Todd Barkan, Steeple Chase
の Nils Winther, 日本からも木全信(きまた まこと)さん、原哲夫さん、川島重行さん始め
多くの方がレギュラーに来てくれて年間に数十枚の CD
を制作していました。ここで改めて使ってくれた方々に感謝したいと思います。本当にありがとうございました。
The Studio でレコーディングした作品の全リストを作らなければね。
いろんな物があるのできっととっても面白いと思うよ。
自分から進んで入って行った訳ではないのですがプロデュース業も僕の一部になりました。良かった事は他の人の面倒を見る事やミュージシャン以外の事を経験する事によって僕もやっと一人前の大人になれた事だと自分で思っています。何時かプロデュースについての事も書きますね。この
20
年の間にこのスタジオで僕がプロデュースしたり関わったりした作品が
300
近くあり、各々いろんな思い出が有りますが僕には中でもサダオさんとチンさんに来てもらってやった
Just Like Old Times
のレコーディングの時の事が忘れられませんね。そのうちにそのレコーディングの事についても書きたいなと思っているんですよ。
The Studio が無くなるのは少しさみしいけれど正直な所
心残りはありません。今の僕にはとても良いタイミングなんです。次に行く事、同じ所にとどまらず変わって行く事は良い事なんですね。将来に向けて夢を追う旅が始まりました。
Sunshine Ave レーベル、久しぶりの新作 CD、今の
自分の気持と波がピッタリ合っていて又ギターリストとしての増尾好秋が出発します。
みなさん 今年も素晴らしい年になります様に!
MASUO
※1: The Tree は曲名。東京の実家のそばにあった伯母さんの家に行くたび、その庭に昔からある柿の木を目にして感じる思いを、曲のイメージに重ねてそんなタイトルにしたとのこと。アルバムLife Is Good に収録されている。→
アルバム Life is Good について
※2: マンハッタンSOHO地区のこのマップ(別窓で)を見るか GoogleMapなどで
◇ 111 Sullivan St, New York, NY 10012 USA と
◇ 102 Greene St, New York City, NY 10012 USA を検索してみてください。
※3: ProTools はデジタル録音,編集,ミキシングができる総合サウンド編集ツール