増尾好秋からのメッセージ [2000年-2001年]
2001年9月16日
News from America
9月11日のNYテロ事件 について
みなさん今日は !
New York が大変なことになってしまって多くの知人や友達から Tel や
E-mail をもらいました。
ぼくたちだいじょうぶですよ。心配してくれてありがとうね。
本当に心から感謝しています。
今、僕達はマンハッタンを抜けだして田舎に来ています。
その朝僕はぐっすり眠っていて Shirleyに起こされるまでまったく気がつかなかった。彼女は外があまりにもうるさくて目が覚めたので、さっそく
TV をつけてみると煙を噴いている World Trade Center が映っていて
よく見てみると横に Live
と書いてあるのに気がついてはじめて窓の外を見たそうです。
ぼくたちの住んでいるアパートは窓が南に面していて WTC の上 1/4
位が見えます。ベットルームのカーテンをいっぱいに開けて寝ぼけ眼で見ると確かに目の前で
WTC が黒煙を吐いている。TV
は飛行機事故だと報じていたと思う。とにかく空気の澄んだ気持ちのよい朝で太陽が
WTC
に反射してキラキラ光っていた。半分まだ夢の中にいるような気持ちで眺めていました。なんて所にぶつけるのだろうドジな奴
だな~なんて考えながら。
すると突然横の方から飛行機が飛んで来て何やってるんだろうと思った瞬間に
WTC
のもうひとつのビルから火が吹き出る。直後にドーンと音がした。目の前で今起こった事が一瞬信じられなくて、又別の一機が突っ込んだんだって事を自分に言い聞かせる。TV
もアレッ
て感じで最初はだれも信じられなかったのか誰も何も言わない。
これは事故なんかじゃないテロリストの攻撃だ、危機感でいっぺんに目が覚めたよ。それからはすっかりTVにかじりつき。
ますます街全体が異常な騒音につつまれていく。ペンタゴンにも落ちたニュースが入る。もうメチャクチャだ。その日はお昼から友達の
recording session
が予定されていたのですがそれどころではないのでキャンセルの
Tel をいれる。
留守電にメッセージを残す。(後で知った事ですが友達は WTC
のそばにあるアパートに住んでいたのですぐに追い出されてNew
Jersey
に避難、今だ住んでいたところがどうなったのかわからないそうです。)
最初のビルが崩れてしまった後からビデオを撮り始めました。
テープが10分位残っていたので窓からこんなふうに見えたん
だっていう記録を残すつもりでね。
昨夜始めてそのビデオを見て涙が出そうになった。
僕は1971年から New York に住み始めましたがそのころWTC
はまだ3/4位しか出来ていなかった。設計者が日本人ということ
もあってとても誇りに思っていました。
ドラムの村上寛やケメコ(※笠井紀美子
達と住んだロフトが フランクリン street 。WTC
から10ブロック位の所だった。
Shirley と結婚して住んだのがトンプソン street
。毎朝少しずつ上に上にと出来上がっていく WTC
を見上げていたよ。
次に引っ越したサリバン street 、そして今住んでいるウエスト
ハウストン street と、考えてみるとずっと WTC
の眺めがいい所に住んでいたんだな~。と少し感傷的になってしまいました。
マンハッタンに通じるトンネル、橋はすべて封鎖、地下鉄はじめ空港もすべてストップ。外に出てみると
6th Avenue
はダウンタウンから歩いて来た人達、見物人とポリスカーや消防車でごったがえしている。なかには灰をかぶった人や車も目に付く。幸い風が西から東に吹いていたので近いのにまったく煙も来ないしいい天気で現実離れしたシーン。ただダウンタウンを見ると山のような煙がたちのぼりそこにいつも見慣れていた
WTC のビルディングがもうないんだよ。
時々空軍の F-16
がマンハッタンの上空を飛んでいる、道端にすわりこんで泣きながら話している人、シヨットガンなどで武装したポリスが街角に目立って多くなって来る。
僕が住んでいるペンシルバニア州の家から100マイルも離れていないところにも飛行機が落ちるし夜中だというのに日本から心配して電話がかかって来る。
こまかい被害の内容はみなさんすでに知っていると思いますが
勇敢な消防士、警察官、自分を捨てて人々を助ける姿にアメリカ中が心を打たれ、人間のすばらしさに感動しています。
しばらくするともう少し落ち着いて通常の New York City
に戻るんだろうけれど、これで米国全体が変わってしまうのかな。
横っ面を張り倒されて目が覚めた様なアメリカですがそれ故にか今まで感じられなかった強い団結感を感じるよ。
人々が真面目になり、やさしくなってかつてのアメリカのよかった部分が又もどって来たみたいな雰囲気です。
とり急ぎ、
MASUO
2001年1月24日
新世紀おめでとう
新年明けましておめでとう。
又日本に行く日が近づいて来ました。
旅支度をしています。(※ 1)
もうすでにメッセージボードに書かれていますが、今月ミヤケジュン君のバンドにゲストで参加してクレオパトラズ・ニードルという店で演奏しました。
全員日本人の若いミュージシャンで、ピアノの百々徹君、
ベースの植田典子さんはボストンのバークリー卒業生。ドラムの小山太郎君はこちらに来て2年目(日本の人は彼の事をよく知っていると思います)、テナーサックスのミヤケ君(フルートがメイン楽器だと言っていました)と
全員僕ははじめての人ばかり。
みんな良かったよ。エネルギッシュで純粋で。
昨年 ドド バード(※ 2)
でやっているときにピアノの湊さんが「ニューヨークに住んでいるピアニストのドド君知っている?
マンハッタン(※ 3)で聞いてすごくよかったよ」 なんて話があって最初は冗談だと思っていたのですが
後日、野本晴美さんも「ドドさんはいいですよ~」なんて言っていたので今回とても楽しみにしていました。
彼は21世紀の新人。近いうちに日本でも注目を浴びる様になるでしょう。
それでは
See you soon
MASUO
※ 1: 2月2日から10日間ほど日本で公演
※ 2: ドドバード: 港区 南青山にあるライブハウス「Do-Do Bird」のこと。(この後「Jazz Bird」に変わった)
※ 3: ここではNew York市 中心部にあたるManhattan区ではなく、杉並区
阿佐谷にあるライブハウスを指す。→マンハッタンのホームページ
2000年10月25日
(no title)
From
Masuo第2弾は来日を直前に控えてのメッセージ.
今度の来日で再結成されるかつての渡辺貞夫4や
ライブハウスでの共演メンバーについて。
皆さんお元気ですか、又日本に行く日が近づいてきてわくわくしながら出発準備をしています。
New York は今 Yankees と Mets
でメチャクチャに盛り上がっていてお祭り気分だよ。
今回はサダオさんと久しぶりにやるので前から色々と考えていましたが、この9月にチンさん(※鈴木良雄) が New York
にきたので一晩二人でゆっくり話し合う時間を持つことが出来てとってもよかった。
先ず決めたのは仕事が始まる前にチンさんの家のスタジオで
リハーサルやろうってこと。 Tel
するとサダオさんも同意でそれならついでにラジオの番組の録音もやろうということに話しが進みました。
みんなで曲を持ちよって選曲して行くことになると思いますが、僕自身今回は何をやっても楽しくできる予感がしているんだ。
それと今回は又東京でクラブサークルの仕事もやりますが岡田君の代わりに山下君(※ 1) にやってもらいます。
彼とは数年前に新宿の「J」で一度共演したことがあります。
その時は名古屋から出てきたばかりだと言っていましたが
音がよくてとても好感を持ちました。
珠也と晴美ちゃん(※ 2)
とのコンビネーションどうだろう。
楽しみだなァ~。
それでは又、See you soon .
MASUO
※ 1: 岡田勉(b), 山下弘治(b) ※ 2: 本田珠也(ds), 野本晴美
2000年5月28日
Recording Report
メッセージ第1弾は、新作のレコーディングについて
お元気ですか?
Home Page のはげましメールもありがとう。(※掲示板 #0288, #0290参照)
レコーディング始めましたよ。
一番最初の段階が無事終わり一息入れているところです。
今日は1週間位ぶりにレコーディングしたテープを聞いていました。
I enjoyed listening to it.
早くみんなにも聞かせたいけれど今回のやつにはもっといろんなアイデアを詰め込みたいんでもうちょっと待ってて下さいね。
どんなに前もって用意していても、レコーディングの時にはいつも思ってもいなかったハプニングがあります。
特に僕の場合自分のスタジオでやるので100%コントロールできる代わりにすべての責任は自分で
take care
しなければならないので、いつも自分の時になると何かと結構大変なんです。
今回もいろいろありました。
前日に Larry(※)
が来てオルガンをチェックすると低音にレコーディングには使えない変なノイズがあって
Leslie
のスピーカーキャビネットに問題があるようなので急拠レンタル。
Larry
はこの自分のオルガンを去年の9月から僕の所におきっぱなしだったのに、やっと出番が来るとこうだからね。
後でわかったのですが真空管が一個壊れていました。
次に 僕のギターアンプ、フェンダーのツィン リヴァーブも
直したばかりなのに突然音が出なくなってしまって結局いつものブギーアンプを使いました。
ついでに話題が真空管のトラブルなのでもう一件。
マイクロフォンのノイマン U-47が調子が悪かったので修理に出したのですが、これも真空管に問題があり取り替えたオリジナル真空管が一本$1100。
こういった古い昔のマイク (U-47
は歌手のレコードカバー、フランクシナトラ、ダイナワシントン、ヘレン
メリルなんかの写真によく写っています)
は音が温かくて、デジタルになった最近の器材にはない独特の味があるんだよ。もうずっと前に生産中止なのでほしいと思ってもなかなか手に入りらないものなんだ。
だから楽器と同じようにこういうものも大切にしています。
いろいろと細かいトラブルがありましたがこれでも前のレコーディングの時とくらべたらずいぶん楽になったよ。
僕自身ギターを弾くことが楽になったからだと思う。
今度のアルバムは前もって全体のコンセプトを頭に描きました。前のアルバムの様なオープン
フリー プレイングのものときっちりアレンジしたものが半々。Larry、Lenny (※)
二人は相変わらずエキサイティングですばらしい演奏をしてくれました。特に
Larry
には脱帽。僕のほしいところを実に良く理解してくれて僕のアイデアを良い具合にふくらませてくれる。彼は最近初めての赤ちゃんが生まれたばかり、写真を見せてくれる彼の顔はすっかりお父さんになって幸せそう。
奥さん
が中国人なのでベイビーはオリエンタルの顔をしています。
これからマイク
ブレッカーのバンドで5週間のヨーロッパ演奏旅行に出かけるとの事。
とにかく100% MASUOがつまった音楽、期待して下さい。
こちらアメリカはメモリアルデーウィークエンドです。
戦争で亡くなった人々のことを思う日。
ぼくたちの世代は本当に幸せだね。
そんなことを考えていました。
MASUO
※ Larry Goldings ラリー・ゴールディングス (organ) & Lenny White レニーホワイト(ds)
参考:ノイマン Neumann U-47については, マイクロフォン・ショップのサイト を参照。U-47の写真あり。