Message from MASUO
増尾好秋からのメッセージ…アメリカ/日本から

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増尾好秋からのメッセージ  [2002-2004年]

2004年5月7日
 

Village 散策, レコーディング, etc

(表題は管理人が付けました)

 お元気ですか!New York はやっと新緑です。とってもいい季節になりました。友達の有賀君がさっき日本から到着したので二人でブラブラとビレッジを散歩して来たところなんです。昼間は夏の様に暑かったのですが夕方になるとすずしくなって気持ちいい風も吹いているし街は人々であふれていました。もう夏時間になっているので8時になってもまだ明るいんですよ。
 アパートを出てまずは Houston Street(※ 1) から Macdougal Street を北へ。 Bleecker Street には馬に乗ったポリスがいて面白い絵になるので有賀君がデジタルカメラでさかんに撮っていました。サイドウォークにはテーブルがたくさん出ていて人でいっぱい。W 4th Stをちょっと過ぎたあたりの左側のところにある Kaco(※ 2) さんが昔 NY に来た時に一緒に入った喫茶店おぼえていますか?あの店まだありましたよ。最近は店がどんどん変わってしまうのにまだ続いているなんて珍しいね。そこから Washington SQ (※Googleマップで見る,別窓)。 何かの木からの花吹雪でチョットした日本のお花見気分だね。人々が楽しそう。グループでダンスをやっている人とか音楽をやっている人とかいつもの様に Washington SQ はお祭りでした。前だったらそこからダウンタウンを見ると ワールド トレード センターがドンと真ん中にあったのにね。 そこから今度は University Place へ。左側に鉄の門があってそこに入ると急にヨーロッパ風になってしまう道があるんです。道の名前忘れてしまったけれど。 少し薄暗くなって来て静かだし人っ子一人居なくてまったくの別世界。その道を抜けると 5thアベニュー。そこから 8th St を西へ。 Electric Lady Studio(※ 3) の横を通ってから 6thアベニュー を南に曲がりダウンタウンに下りて行きます。ハラがへってきたので何を食べようか考えながら。 又 W 4th St にきたので左に曲がって Blue Note に誰が出ているか見に行く。Saxの James Carter だった。食い物は結局 Sullivan St を右にまがった所にある、前に入った事がないソウルフ-ド屋みたいな所をトライしたんだけれど大失敗。でもとってもいい散歩でした。

 僕は今 レコーディングの最後の仕上げ をガンバッてやっています。昨日はSaxの Ted Nash  とTpの Marcus Printup に来てもらって僕の曲にオーバーダビング。数日前 には Bill Mays Trio と一曲レコーディング。Drumsの Nathaniel Townsley にも参加してもらったりバラエティーあふれたアルバムになりました。 Shirley にも助けてもらっています。エージ(※ 4) Shirley と3人でチームワーク。夜遅くなると地下鉄も数が少なくなってエージがクイーンズの家に帰るのに時間がかかってしまうので 59th St Bridge を通って Astoria へのドライブが日課みたいになりました。昨夜は Shirley を連れて夜中ペンシルバニアに帰り、彼女を残して今日は New York に帰る前に車のタイヤを取り替えてもらいにいったのですが待たされて待たされて結局ラッシュアワーに帰るはめになってしまった。--先週末にペンシルバニアにあるジャズクラブ Deer Head InnBill Mays Trio が出演しました。店の名前は知っていたのですが僕はまだ行った事がない場所だったので行ってみたんです。古い昔からのいかにもペンシルバニア風な Inn がジャズクラブになっていてとってもよかったよ。オーナーを紹介してもらったので僕もいつかそこで演奏したいと思っています。そこに行くのは一時間位のドライブなのですが行く道209が今メチャクチャにコンディションが悪くて穴ぼこだらけ。帰りに対向車のヘッドライトで見えない時に穴に突っ込んでバコンとやってしまったわけなんです。前の右側のタイヤにバブルが出来てしまってあぶない状態だったので取り替えなければならなかったんです。--5時には New York に着きたかったんだけれど遅刻。明日からはしばらく有賀君と仕事、自分の事はチョットのあいだお休みです。お昼から Gil Goldstein のソロピアノレコーディング。Bill Mays, Steve Kuhn と続きます。

※ 1: Houston Street ハウストン ストリート。スペルはテキサス州ヒューストンと同じですが、語源が違うらしく、この通りはハウストンと発音されるそうです。
※ 2: 管理人の名が出て恐縮です 。ネット名に差替えました。 (ハイ、 もちろんその店のこと憶えてますとも。増尾さんが憶えていてくださるとは感激。22年前、増尾さんのライブを観に行ったあのNY旅行は忘れられない想い出です。)
※ 3: Electric Lady Studio は、『Sailing Wonder』や『Good Morning』といったエレクトリックバードレーベル作品の録音に使用されたスタジオ。
※ 4:(タカスギ)エイジ氏は、レコーディング エンジニア&ミキシング エンジニア

2004年1月3日
 

Happy New Year

明けましておめでとうございます。 
 今年も健康で楽しく実りのおおい年になりますように。
 日本も同じようですがこちらもとっても暖かい新年でまさに新春という感じです。 このお正月は司馬遼太郎の 「竜馬がゆく」 を30年ぶりに又読んでいます。友達がわざわざ送ってくれたんです。大感謝! この本は僕が始めて読んだ時代物小説。面白いから是非読みなってサダオさん(渡辺貞夫) から薦められて読んだのですよ。今又読んでみると自分自身の人生感とか男っていう事とか、結構いろんなところでこの本から影響を受けたんだなって事に気がつきました。僕はこういうのが好きなんです。

 昨年の仕事納めは百々(※ 1) 新作の mixing でした。御存じのように彼は今日本なので百々君抜きでエージと二人でやりました。今回の mixing はいかにしてピアノのデリケイトなタッチを壊さないで Reuben Rogers の bass と John Lamkin の drums を生かすかという事が僕のテーマでした。この二人はとてもパワーフルなリズムセクションなんです。John のドラムセットは kick drum が22インチだったしロックのドラムセットみたいでジャズのピアノトリオではあまりこんなセットを使う人はいませんね。でもそこが又 曲調と合って新鮮でした。久しぶりに改めて全曲を聞いてみて確かに百々君はこの二作目で音楽家として新境地を開拓しているなという手ごたえがありました。
 The Studio では12月の中頃からトランペットの大野俊三君が久しぶりの新作のレコーディングをやっています。僕はそのプロジェクトには直接関わっていませんが、このお正月3、4、5日で mixing をして完成という予定になっています。彼の新作も楽しみですね。

 さて僕自身の事ですが、今年は久しぶりに6月から7月にかけて日本に演奏に行く事に決まっていますね、その前には何とか僕の ”幻の新作” も世に出したいと思っていますよ。...と書いているとなにか去年も同じような事言っていたような気がするなァ~。そうです 僕は自称どうしようもない奴なんです。ナガイ目で見てやって下さいな。

 MASUO

※ピアニスト 百々徹(ドド トウル) 氏の新作『116 West 238 St.』 は、ミューザック (Jazz City Spirit) から2004/2/25に発売。

2003年9月1日
 

Summer 2003

 今日こちらはLabor Day weekend です。日本で言うところの勤労感謝の日だね。ここで一応サマーホリデーが終わりっていう日なんです。世界中変な気候の夏だった様で、こっちも春から雨ばかり。良かったのは East Coast の水不足がいっぺんに解消されてしまった事かな。
 アメリカの夏が日本の夏と大変違うところがあります。何だか分かりますか?  こちらにはセミがいないんです。だからNew Yorkに住み始めた最初の頃はあの真夏に聞くセミの声が聞けなくて夏になった気がしなかったもんです。ところがこの数年前から少しだけれどたまにセミの声が聞こえる時があるんです。マンハッタンのセミ。鳴きぶりは長続きしなくて一分ぐらいですぐ止まってしまうんだけれどチヨットでも聞こえてくると嬉しくなってしまってワァ~セミだ~って感じです。これからもどんどん繁殖していっていつかは日本みたいになるのかなぁ?

 今のところは何事もなく無事に来ていますが、 New York は戦争やテロでいつ何が起こるか分からない物騒な街になってしまいました。 先日の大停電の時はビックリしたよ。僕はうまい具合に一日違いでマンハッタンから逃れる事が出来たので何の問題もありませんでした。チンさん(鈴木良雄) が New York に来ていたので彼が日本に帰る前夜みんなで食事に行って、その後もチンさんのところで朝の4時頃までワイワイやっていて、チンさんはその朝日本に帰り僕もそのままその朝 Pennsylvania の方に戻りました。そのつぎの日、14日に停電になったわけです。最初は又テロかと思いましたが、今回は何事もなく平和に事がすんで良かった。僕は前回の1977年の大停電も経験しています。あの時はドサクサに紛れて悪い事やったやつがずいぶんいたんだけれど、今回はまるで違っていて、あの9/11以来アメリカ人は本当に変わったなと思いました。我が儘を言わないでもっと一つになってみんなで助け合って行こう。若者の国アメリカも少しずつ大人になって行くのでしょうか。 

僕の今年の夏は何といっても Wind Surfing と池波正太郎でした。

Wind Surfing
 今年の一月 Bassist の友達から声がかかり カリブの国ドミニカン リパブリック(※Dominican Republic = ドミニカ共和国) のプンタカーナって言うところにあるリゾートホテル `Club Med' で10日間位仕事があるんだけれどやらないかとのこと。大してお金にもならないし、こういうことは今までやったことがないし、どうかなぁ~と思って考えてみたのだけれど、僕とShirley はこのところVacation に行った事もないし、まあチョードいい機会だ何でも新しい事やってみようと思って行く事にしました。仕事と言ったって演奏はBarみたいな所で Bass と二人で一晩に一時間だけ、それも結局は半分位しかやらなかったんじゃないかな。やれ雨だとか、何か催し物が遅れたとかですぐに今晩はやらなくてもいいよって事になってしまうのです。とにかくその Club Med で初めて Wind Surfing のレッスンを受けたんです。僕にはどういうわけか最初からこのスポーツには何かひきつけられるものがあって、だんだんコツが分かって来るともうすっかり気に入ってしまった。ここで又偶然な事があるのです。引っ越して来て今住んでいるこの Pennsylvania の家の物置き小屋の中に、前に住んでいた人が置いて行ってくれたサーフボードみたいなやつとヨットの帆があったのです。僕はそれが何であるか知らなかったんですがなんと Wind Surfing board と帆だったんですね。そんなわけなので夏になるとさっそく引っ張り出して来てやり始めました。湖でやるのは波がないし海よりずっと楽。強風とかよっぽど悪いコンディションでもないかぎり僕達の年代でも大丈夫。でも何せ風まかせだからのんびり構えないとダメだね。ひとたび出てしまうと風向きが悪いとか風がなくなってしまうとかすべてはその日の気象状況に左右されるから何時帰って来れるか分からない。そのどうなるか分からないというチョットしたスリルと風という大自然のパワーを自分一人の力でコントロールしていくアクションがまさに僕の冒険心をくすぐるんだ。何故か男は冒険していると男としての生きがいみたいな処が満たされてくるんだね。真夏の太陽の下うまくいい風をつかまえて全身に風のパワーを感じながら水の上を滑っていく。日常のストレスやフラストレーションがいっぺんに吹き飛んで気分一新 大爽快なんです。

池波正太郎
 昨年の事です、こちらにしばらく住んでいた大学の時からの友達が仕事の都合で日本に帰る事になり彼が愛読していた日本の本をゴッソリ二箱分も僕にプレゼントしてくれたんです。しばらくのあいだ全く手をつけなかったのですが、夏のはじめのある日一番上にあったやつをチラッと読み始めたら面白くて面白くて、一発でドップリはまってしまいました。それが池波正太郎の剣客商売ものだったんです。今頃になってやれWind Surfing だ池波正太郎だってなにをいうてんねん!!! っとバカにされちゃいそうですが僕はどうも世間の流れから十数年ずれちやっている様で。しょうがねえやともうすっかり開き直っていますが。
 とにかく池正は最高だね。しびれています。登場人物が魅力的だし彼の生き方考え方いちいち同感。寝る前にベッドで一、二章読むとスッカリ江戸気分! やっぱりふるさとというか自分の心の中の中にある心地よい安心出来る場所に行くような特上の安らぎを感じさせてくれる。とってもいい気持ちで眠れるんですよ(うまそうな食い物が出て来てハラがへって困る事もある)。だから最近は池正の本が僕と一緒に New York と Pennsylvania のあいだを行ったり来たり、今の僕にとって最上のエンターテイメントなんです。この事を他の日本の友達と話していたらそれなら池正のほかにもこういう面白いエッセイ集が有るよと又別の本を送ってくれたり(持つべきは友!)すでに彼の本だけで30册以上もあるのでここしばらくは池正三昧だ。
 僕にはどうも剣客商売の主人公秋山小兵衛と時々会う最近のサダオさんがダブッて感じてならないのですが。そう思いませんか? 可笑しいね。

今日は僕の超個人的な意見で締めくくりにしたいと思います。
それでは又、

MASUO


※今ご本人が凝っているこのウィンド・サーフィン、「こけることもなくすぐに覚えられた」と、増尾元章氏に話されていたそうだ。

2003年6月26日
 

(結婚30周年, Pamoja, etc)

(表題は管理人が付けました)

 こちらの今年の春は記録破りの雨ばかりでした。2日前に雨がやんで今度は突然30度をこす猛暑に突入。New York City は雨が多かったせいか街路樹が何時もよりしげりまくっていい感じ。Pennsylvania の田舎は今、州の花 Mountain Laurel (アメリカ・シャクナゲ) が満開です。昨年とくらべて3週間も遅いけれどね。

 ゆっくりだけれど僕のプロジェクト(新譜の制作)もゴールに向かってちゃくちゃくと進んでいます。このHomeページにも書かれていたようにチンさん(鈴木良雄) にも1曲加わってもらいました。チンさんがちょうどいいタイミングで4月のあたまに1週間程こちらに来たので、僕が前にkeyboardでひいたbassパートをチンさんに弾いてもらいました。人から借りた楽器(だいぶ疲れまくっているbassだとチンさんは言っていましたが)だったので 「いい音しないよ」 なんて言っていたけれど僕にはちゃんとチンさんの音がしています。大感謝!

 5月に Shirley の姉 Judy が New York に来たので又2人にコーラスでレコーディングに参加してもらいました。2人には You Make My Love Burn Bright(※) でも歌ってもらって冗談でコーラスグループ TwoLips なんて名前をつけました。 いつものようにわいわい騒ぎながら楽しくレコーディング。終わった後はチャイナタウンにでも行って食事。ギャラなし。

 それと5月19日は僕達の30回目のア二バーサリー。久しぶりに 7th Avenue と 13th Street の角にある僕達が式をあげた教会の前を通ってみました。入り口の所が少し変わっていましたが昔のまま。そのころ僕は Sonny Rollins のバンドでやっていました。ヨーロッパに演奏旅行に行くことになり、ビザの問題があったのでそれなら結婚しようかって事になりました。もちろんそんな事だけで決心したわけでなく何かすべて時が来たなっていう潮時だったんだと思う。Thompson Street の月$125のアパートに住んでいて(バスタブがキッチンにあった)金も全然なくて Shirley は僕のおばさんが結婚祝で送ってくれたお金でメキシカンウエディングドレスを買って、僕はスーツなんて1着も持っていなかったので やせてて身体のサイズも近い岸田ケージ(ds) から黒のビロードスーツと靴まで借りて、その日の朝は中村照夫(b) さんの車で教会に送ってもらいました。いきなりその前日に通知したんだけれどそのころNew Yorkにいた友達とかみんな来てくれてうれしかったな。式の最後の方で牧師さんの言うことを僕がそのままリピートするという段になって 何言っているんだか全然聞き取れなくて困ったよ。とにかく30年間よくやってきたなァ~いろいろあったけれど。2人に表賞状だね。East Sideにあるそば屋にいってア二バーサリー ディナー。

 貞夫さんの事が (掲示板で) 話題になっていますね。昔 僕達を刺激したように今も若い世代とコネクトしているって事すばらしいですね。この冬こちらに来た時も 前よりいっそう元気で(10年前 Just Like Old Times のレコーディングで来た時は病み上がりだったんですよ)やっぱり普通の人とは違うなあと思いました。これだけ長い間第一線で活躍しているって事、並み大抵の努力と心構えで出来ることではありません。クソ 僕だって負けないぞっていう気持ちになります。

 貞夫さんの話題のついでにこの春とても特別な経験をしたこと書きます。
 このHome Pageを見ていて貞夫さんのアルバム“パモジャ”がCDになって再発されていることを知りました。実は僕はこのアルバムは聞いたことがありませんでした。何かの具合で今まで聞くチャンスがなかったんだね。そのレコード会社に知人がいたのでmailでお願いして送ってもらいました。ついでに 111 Sullivan Street もね。
 自分の昔の演奏を聞くなんてこわいようなヒヤヒヤドキドキもんなんです。一人でヘッドフォンをかけて聞き始めました。あ~こんな曲あったなあ、この日はギターアンプの調子が悪かったとか、聞くうちに忘れていたいろんなことを思い出してくる。銀座にあった読売ホールでのライブレコーディング。(読売ホールって今でもあるのですか?) 僕はこの日 朝から熱を出してしまって、今日はもう行かないなんて無責任なことをきめていたのですが、夕方になってよくなってきたので途中からコンサートに参加したんです。
 余談になりますが僕の友人David Bakerがレコーディングエンジニアでした。最近彼と電話で話している時にこのレコーディングの話しになって今まで僕がまったく知らなかった事を聞きました。日本のスタッフがあまりライブレコーディングの経験がなかったのかレコーディング機材をすべて1ケ所の電源に接続してしまったので、さあレコーディングを始めようと録音ボタンを押したとたんにヒューズがとんでしまって停電。その時彼がおぼえた日本語が “どうしたの” だって。そんなもんで開演が30分も遅れてしまったんだって。だから僕がずいぶん遅れて行ったけれど2、3曲ミスしただけだったのかも知れない (ミスした = 間に合わず逃した)。 富樫さんがこのレコーディングに参加していたのも忘れていたな。
 というわけでいろんな事を考えながら聞いているうちに最後の曲 Everytime We Say Goodbye になりました。本田君のピアノイントロから貞夫さんがメロディーを吹きはじめる。Bassのおまさん(鈴木勲)が音を探りながら弾いているのがわかる。もしかしたら貞夫さんが突然予定にないこの曲を始めたのかも知れない。1コーラスだけメロディーを吹いて2コーラス目は本田君のピアノソロに入る。まだ少しギクシャクしている。それで3コーラス目が僕のギターソロになる。このへんからおまさんも曲がつかめたという感じでバンドがひとつになってくる。僕のソロは途中からメロディーにかわって行く。まさかと思っていたら僕はそこでこの曲を終わりにもって行ってしまう。勿論どうしてそんな事になったのか全然憶えていない。その時 あっ。。。この事だったのか と、昔 父と交わした会話を思い出しました。たまたま父はこのコンサート聞きに来ていたんです。後日 家で父と何か話していた時に、「お前があのスローバラードのエンディングでなにげなく弾いたコードがなんとも美しくて天の上から響いている様だった」 ってそのときの演奏をほめてくれたんです。僕も若かったし自分がなにをプレイしたかなんて次の日にはすっかり忘れてしまっていたのが常で、 “ア~ソウ” 位にしか感じなかったんだけれど、不思議にその時の父の表情とか言葉のニュアンスがくっきりと思い出されるんです。25年以上前の自分の演奏を始めて聞くという事は僕自身自分の息子の演奏を聞くみたいなもので、僕はその瞬間を父が聞いたのと同じ心境で聞いていたんです。確かにそこにはすばらしい瞬間がありました。
 ちょっと前までは庭を走り回って遊んでいた息子が急にギターかなんか弾きはじめて気がついたら渡辺貞夫さんのバンドに入りそのうちプイとアメリカに行ってしまった。そんな息子の演奏を聞くのは自分も同じ音楽家として、それはそれは複雑な気持ちだったんだろうと思う。
 もう泣けて泣けて一人でグシュグシュになってしまいました。でも泣くだけ泣いて、一段落したらなんとも言えない平和な気持ちになって急に What a Wonderful World になってしまいました。僕達ミュージシャンはいつまでもこうしたスペシャルな瞬間を求め続けているんです。他の人がどのように感じるかは又別な次元の問題で、僕にとってはあの瞬間が CD になって残ったって事、本当にしあわせなんです。
それではまた、

MASUO


【追記】 ‥‥あのパモジャのレコーディングされたコンサートにはまだいろんな出来事があるんです。貞夫さんがこの前 New York に来ている時、FM放送の録音のあと昔話になってその時に出て来た話なんですが、コンサートが終わり花束贈呈があって(それもたまたま Shirley がわたした花束)貞夫さんがその花の匂いをかごうと思って何かのはずみでバラのとげを目に刺してしまったんです。幸い大変な事にはならなかったのですが、もう数ミリずれていたら失明するぐらいの傷だったんです‥‥
※この 追記 は、上記メッセージをアップした後、ご本人から1箇所訂正の連絡があり、そのメールに書かれていた内容。 ほかに,  管理人の知る限りでは, このコンサートで日本滞在中にNYのアパートの事件というのが起こった(これについては以前掲示板 #0980, #1152 にちょっとだけ書きました)


■2002年秋、ユニバーサルによって1ビットDSDリマスタリング完全限定CD化された
 East Wind レーベル全72作品の中の『111 サリバン・ストリート』と『パモジャ』:

111 Sullivan ...CD111 Sullivan Street / 増尾好秋』 (1975年録音)
増尾好秋(g), ボブ・ムーバー(as), 鈴木良雄(b), ボブ・クランショウ(b), ジム・ラブレス(ds), デイヴィッド・リー(ds)

Pamoja CDPamoja / 渡辺貞夫』 1975年録音)
渡辺貞夫(as, fl), 福村博(tb), 増尾好秋(g), 本田竹広(p), 鈴木勲(b), 村上寛(ds), 富樫雅彦(per) *東京・読売ホールにてライブ録音

2002年2月7日
 

(Just Like Old Times リミックス版)

(表題は管理人が付けました)

お元気ですか。

 この数年どういうわけか何時もこの季節に日本に行っていました。寒いし もっと温かくなって桜の咲くころなんかに行きたいな~ と思っていたのですが......
いつも2月のジロキチの仕事にからんでスケジュールを決めていたからだね。今年は新しいアルバムの発売時期に会わせて日本に行くつもりです。

 昨年から Pony Canyon の JazzCity シリーズ(※ 1)が再発されていますが、徳間ジャパンの JazzCity Spirit シリーズ(※ 2) も近ぢか再発されることに決まりました。
徳間のJazz City Spiritの一作目は僕の Just Like Old Times(※ 3) で、サダオさんやチンさんに New York まで来てもらってレコーディングしたとっても特別なアルバムなんです。 でもこのアルバムは発売されたときから僕自身、音、Mixing 等 気に入らない所がいろいろあったので、再発される時がきたら必ずやり直そうと思っていました。
そんなわけなのでさっそく先週からこのアルバムの Re-Mixing をやっています。痒いところに手が届いた感じで気持ちは爽快です。
先日はエージ(録音エンジニア)に手伝ってもらって二人でたまたまサダオさんの曲 Good To Be Here を mixing していました。
家に帰ったのが朝の4時。ベッドに入って TV のニュースを見ていたら2月1日だって事に気がついて(サダオさんの誕生日)、久しぶりに電話してみました。サダオさんがチョード居て、ヤアヤアって感じで元気な声を聞けてうれしかった。そこには昔からの友達が集まっていて僕の事なんかも話しに出ていたんだよ...なんて言われて又とっても幸福な気持ちでいっぱいになりました。

今度の Second Edition "Just Like Old Times" 期待して下さい。
もちろん僕の新作も乞御期待!

それでは又

MASUO

※ 1, ※ 2: JazzCity と JazzCity Spirit は、いずれも増尾さんがTony Ariga(有賀恒夫)氏と立ち上
   げたレーベル。これまでにJazz City 30作品、Jazz City Spirit 6作品をプロデュースされた。

Just Like ... CD ※ 3 Just Like Old Times リミックス版 2002年8月21日発売。
  → Amazonでリミックス版を見る
  録音メンバーなどについては当サイト Disc -- As a Leader を参照.

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