from Guts magazine (Feb 25, 1970 issue) 
1970年『Guts』誌
2-25 No.12

 

(表紙) →

↓(pp. 78 ~ 79 の記事)

表紙の人
増尾好秋 《ギター》

70guts10.jpg (33571 バイト)

いま人気最高のギタリスト増尾好秋くんは まだ23才の大学生
渡辺貞夫カルテットの一員として きびしく音楽に迫っている

■増尾好秋は、まさに日野皓正に続く人気ジャズ・スターである。不思議なもので、スターってのは、どうしても女の子の胸を騒がす要素が必要であるらしい。その点、彼の出演したステージの楽屋口には、花束を持った女性たちが集まってきて、なかなかほほえましい。

■きみは彼のアドリプを聞いたことがあるかい。そりゃもう、ごきげんに美しい音を、芸術品のような指の動きが、みごとに捨っていく。どうして、こんなテクを持つようになったか、そのへんから聞いてみよう。

■「ギター買ったの中学のときだった。それで、友だちんところヘ行くと、Cの押え方はこうだとか、Fはこうだなんて書いてある本があって、そいつを少しずつおぼえてきては、家で練習していた。むかしは、Guts みたいに、楽譜に押え方までのっかってる本なんてなかったからなあ。弾いていたのは、もっぱら流行のポピュラー・ソングばかり。ところがあるとき、ケニー・バレルのレコード聞いたんだよ。ギターで、あんなすごい音楽がやれるなんて、考えてもなかった。それがぼくの、ジャズヘの出発だなあ」

■「どうしてもあんなに弾いてみたい。あんなに自由にアドリプしてみたい。それでレコードにかじりついて、いっしょうけんめいマネしてみた。コードも自分でくふうして押えた。だからはじめは、その押え方が、Cmaj7であるとか、G7 SUS4であるとかいった呼び方は知らなかった。そのうち必要を感じて、音楽の専門的な勉強を徹底的に勉強した。おもしろくなって、芸大に入ろうと考えた」

■「しかし当時、ジャズで有名だったのは、早稲田と慶応で、実際プレイしたいという気持ちが勝って、結局早稲田へ入っちゃった。いま独文の3年生だけど、卒業なんて、まあ、どうでもいいや」

 * * * *

■増尾好秋、昭和21年10月12日生まれ。父はピアニスト。姉ふたり弟ひとりの4人きょうだい。早大在学中、渡辺貞夫に才能を見いだされ、渡辺貞夫カルテットのギターリストとなる。

■日本のジャズ・ギターの世界では、沢田駿吾以来、ちょっと断絶があり、突然彼の時代に優秀な才能が続出した。とくに、現在“原信夫と♯&♭”にいる直居隆雄と、フリーな立場でいろんなバンドに参加して活躍している川崎燎とともに、学生時代から三羽烏と呼ばれていた。

■ウェス・モンゴメリーの“オクターブ秦法”を徹底的にマスター。「ぼくもいっとき、ウエスみたいに、ピックを使わないで、親指1本やりでしたよ。親指で弦をはじくと、きれいな音がするんですよ。最近やっとウェスから離れることができました」

■昨年、CBS・ソニーからLP「バルセロナの風」を出す。 また、昨年は、ロックの連中とよくいっしょに仕事をした。演奏料なしの10円コンサートでも、好きだから、誘われるとすぐギター片手に出かけて行く。 エディー・潘が言っていた「いちどぼくがリードをやり、増尾さんにサイドをやってもらったことがあるが、考えられないようなコードでバッキングしてくれるので、自分でもビックリするくらいのアドリブができた。やっぱりあの人はスゴイや」

■ロックでもジャズでもフォークでも、いい音楽はいい。それが彼の考え方である。しかし、音楽理論上の深みという意味でも、やっばり「ぼくはジャズをメインでやっていく」

■ことしは、もしかしたら、ニューポートのジャズ・フェステバルに出れるかもしれない「そしたら、もっともっと勉強してきますよ。ぼくなんて、ほんの駆け出しですからね。ほんといったら、人さまに聞かすようなシロものじゃない。ずうずうしいから、知らん顔してやってるけど(笑)」

■きみも増尾くんに負けないくらいにガンバってくれ。


Home | Bio トップ   増尾好秋Webサイト